あさゆん見聞録
日々の忍者的なネタとか綴っていきます。
尼崎 地名めぐりファンのつどいin潮江 レポート② 講義編
- 2014/08/02 (Sat) |
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「忍たま乱太郎でたどる尼崎の地名と歴史」
地名めぐりファンのつどいin潮江では、尼崎市立地域研究史料館の河野未央さんが、スライドを使って、尼崎の地名に関する約30分の講義をしました。
実は私、このお話を楽しみに東京から足を運んできました!
歴史大好きですから(笑)
青文字は私の補足文や個人的なコメントになります。
というわけで、さくっと内容をまとめてみました。
尼崎には忍者がいた!
昔は「忍者」ではなく「忍び」と呼ばれていた。
【尼崎藩と尼崎城】
藩政が布かれ、各地に城も点在していた江戸時代、尼崎にも尼崎藩と尼崎城が存在し、阪神尼崎駅の南方の海に面した所には城下町が広がっていた。
その藩に、忍目付という役職があったことが文献に残っている。
関ヶ原合戦の折、徳川に敵対する藩主は西に集結していたことで知られているが、尼崎藩は徳川の側の藩であり、徳川領の大阪城を守護する役割を担っていた。
また、参勤交代における大名たちの見張り役でもあり、諜報活動を行う忍目付けが活躍していた。
いただいた尼崎城のパンフレット。かなり詳しい…!
【東京の地名になったお殿様】
尼崎第一代目城主 青山幸利に関する古文書には「忍」の表記が確認できる。
青山は原宿や六本木の辺りにあり、東京ではブティックやブランド店が軒を連ねるお洒落な街として知られています。そこに徳川家康の重臣であった青山家の広大な下屋敷(現在に於ける別荘に該当)があったそうです。
(足成さんから写真お借りしました)
【忍びを務めたのは若い男の子】
尼崎城主が青山から松平に変わる頃「隠密」という役職が見られるようになる。
隠密はしばしば近習(主君の側近にあって奉仕する役)や帳付(金銭・物品の出納などを帳面に書きつける役)と兼務をし、主に15歳前後~20代後半の若い男性が、1年~長くても5年務めた。
忍術学園の六年生が15歳と言う設定で、卒業後すぐにプロの道に入るということに納得がいきますね。丁度、六年生くらいの子たちが隠密として活躍していたのでしょうね。
尼崎の地名と地域の特徴
尼崎は海にまつわる地名が多い。
「尼崎」という地名も、古い文献では「海士崎」「海人崎」と表記されているものもある。
かつて、JR尼崎駅の辺りまでは海で、その名の通り潮江は海岸、長州は島のようになっていた。
南部の海側に行くほど新しい地名が多いわけです。
【尼崎最古の地、田能(弥生時代)】
最も古い土地は北の内地にある、田能だと推測されている。
田能には弥生時代の遺跡が出土し、現在は指定公園として遺跡が復元されてる。
そこには大きな集落があって、沢山の人が暮らしていた。
【猪名寺は寺の名称ではない!(奈良時代?)】
「猪名寺」という寺が存在したわけではなく、猪名寺とは「猪名」という地にあった寺だという。それも、かなり大きな、奈良時代に作られた寺院があったのではないかと推測されている。
江戸時代のガイドブックにも、猪名寺の名が出てくる。しかし、ガイドブックを作った人が勘違いをして、猪名寺にある法園寺を「猪名寺」と表記している。
しかし、当時からも名所として沢山の人が訪れたことは間違いない。
法園寺も古いお寺で、室町時代に勝誉恵光法園上人が開基したと伝えられています。また、前田利家のライバルであった佐々成政が切腹をした寺でもあります。
【戦の激戦区だった富松城(室町時代)】
富松には戦国時代に富松城があり、摂津の国に陣取って敵を迎え撃つ要塞、軍事施設であった。
現在富松の地域の人たちは、これをPRしようと、紙製の鎧を制作して中世のコスプレや、武者行列などのイベントを行っている。
【漁業でにぎわう中在家(江戸時代)】
江戸時代になると、阪神線のあたりまで海岸線ができ、尼崎城下町が築かれた。
その築城の折に中在家町も生まれ、漁業の盛んな町へと発展していった。
生魚問屋、漁業関係の商人、漁師が移り住み、中在家は城下でも最も人口の多い町としてにぎわったそうです。
【おめでたい!?昭和生まれの工場地、鶴町】
戦前は次々と埋め立てによって新たな土地を造成していた尼崎。その際、中浜新田を埋め立てて作られた土地は、縁起を担いで鶴町と名付けられた。
ここは今も工場地帯で、忍たまファンを困らせている。
同時期に作られた土地も、扇町・末広町とおめでたい名前が多いです。
【変化球!小学校の名前に由来する浦風】
浦風は小学校の名前からついた、珍しい地名である。
昭和35年、近代的な円形校舎の浦風小学校が設立した。
忍たまキャラの主要人物の地名を地図に落とすと、東側に偏っているのがわかる。
もう少しすると、新キャラが西の方からも登場するのはないだろうか。
まだまだ尼崎には面白い地名があるので、これからも新しいキャラが増えるかもしれない。
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講義では触れられていませんでしたが、レジュメの中で面白かった食満と七松の由来についてまとめます。
食満(食満留三郎)
古代の言葉で「け」(笥、食)は食べ物を盛る器、あるいは転じて食料のこと。
「ま」は土地を表すので、食べ物が豊かに実る土地といった意味か。
いっぱい食べる留三郎とかすてきですね…。
お腹が空いていると助けてくれそう。まさにしんべヱの先輩!?
(なんだかアンパンマンっぽいな)
七松(七松小平太)
「享禄以来年代記」天正7年(1579)には「七本松」とある。
かつては葭原村(あしはらむら)と呼ばれており、源頼信がこの地に八幡を勧誘する際、元来一本松であったところへ六本を移植して七本松または七ッ松八幡宮と称したことから村名の由来となったという。
<尼崎市神社あんないより引用>
創祀は、後一条天皇の代、寛仁3年、源頼信が当地を訪れた折に、ひとりの小童がこの地の農民の窮状を訴えたのに感じ、1本の松樹のもとにあった小祠を改装して、あわせて松の株を六本植えさせた古事によるという。(「七松」という地名の由来でもあろう)
http://www.ama-jinja.org/55-nanamatu.html
☆:;;:・:;;:*:;;:・:;;:・:;;:*:;;:・:;;:・:;;:*:;;:・:;;:・:;;:*:;;:・:;;:*:;;:・・:;;:*:;;:・:;;:*:;;:・:;;:*:;;:☆
☆感想☆
ネットで調べているだけではわからないようなこともあって、
お話を聞けて良かったと思いました。
スライドで古文書に出てくる地名を確認することができたのが面白かったです。
元々地名等には興味が深く、東京においてはよく調べて遊んでいるのですが、
大好きな忍たまに関わる地名をさらに深く掘り下げるのも楽しいですね!
いつか忍たま地名由来まとめと考察なども、素人ながらに書き綴ってみたいです。
前回:尼崎 地名めぐりファンのつどいin潮江 レポート① イベント編
次回:尼崎 地名めぐりファンのつどいin潮江 レポート③ 潮江素盞嗚神社編
次回は、潮江素盞鳴神社のレポートです!
宜しくお願いします。
地名めぐりファンのつどいin潮江では、尼崎市立地域研究史料館の河野未央さんが、スライドを使って、尼崎の地名に関する約30分の講義をしました。
実は私、このお話を楽しみに東京から足を運んできました!
歴史大好きですから(笑)
青文字は私の補足文や個人的なコメントになります。
というわけで、さくっと内容をまとめてみました。
尼崎には忍者がいた!
昔は「忍者」ではなく「忍び」と呼ばれていた。
【尼崎藩と尼崎城】
藩政が布かれ、各地に城も点在していた江戸時代、尼崎にも尼崎藩と尼崎城が存在し、阪神尼崎駅の南方の海に面した所には城下町が広がっていた。
その藩に、忍目付という役職があったことが文献に残っている。
関ヶ原合戦の折、徳川に敵対する藩主は西に集結していたことで知られているが、尼崎藩は徳川の側の藩であり、徳川領の大阪城を守護する役割を担っていた。
また、参勤交代における大名たちの見張り役でもあり、諜報活動を行う忍目付けが活躍していた。
いただいた尼崎城のパンフレット。かなり詳しい…!
【東京の地名になったお殿様】
尼崎第一代目城主 青山幸利に関する古文書には「忍」の表記が確認できる。
青山は原宿や六本木の辺りにあり、東京ではブティックやブランド店が軒を連ねるお洒落な街として知られています。そこに徳川家康の重臣であった青山家の広大な下屋敷(現在に於ける別荘に該当)があったそうです。
(足成さんから写真お借りしました)
【忍びを務めたのは若い男の子】
尼崎城主が青山から松平に変わる頃「隠密」という役職が見られるようになる。
隠密はしばしば近習(主君の側近にあって奉仕する役)や帳付(金銭・物品の出納などを帳面に書きつける役)と兼務をし、主に15歳前後~20代後半の若い男性が、1年~長くても5年務めた。
忍術学園の六年生が15歳と言う設定で、卒業後すぐにプロの道に入るということに納得がいきますね。丁度、六年生くらいの子たちが隠密として活躍していたのでしょうね。
尼崎の地名と地域の特徴
尼崎は海にまつわる地名が多い。
「尼崎」という地名も、古い文献では「海士崎」「海人崎」と表記されているものもある。
かつて、JR尼崎駅の辺りまでは海で、その名の通り潮江は海岸、長州は島のようになっていた。
南部の海側に行くほど新しい地名が多いわけです。
【尼崎最古の地、田能(弥生時代)】
最も古い土地は北の内地にある、田能だと推測されている。
田能には弥生時代の遺跡が出土し、現在は指定公園として遺跡が復元されてる。
そこには大きな集落があって、沢山の人が暮らしていた。
【猪名寺は寺の名称ではない!(奈良時代?)】
「猪名寺」という寺が存在したわけではなく、猪名寺とは「猪名」という地にあった寺だという。それも、かなり大きな、奈良時代に作られた寺院があったのではないかと推測されている。
江戸時代のガイドブックにも、猪名寺の名が出てくる。しかし、ガイドブックを作った人が勘違いをして、猪名寺にある法園寺を「猪名寺」と表記している。
しかし、当時からも名所として沢山の人が訪れたことは間違いない。
法園寺も古いお寺で、室町時代に勝誉恵光法園上人が開基したと伝えられています。また、前田利家のライバルであった佐々成政が切腹をした寺でもあります。
【戦の激戦区だった富松城(室町時代)】
富松には戦国時代に富松城があり、摂津の国に陣取って敵を迎え撃つ要塞、軍事施設であった。
現在富松の地域の人たちは、これをPRしようと、紙製の鎧を制作して中世のコスプレや、武者行列などのイベントを行っている。
【漁業でにぎわう中在家(江戸時代)】
江戸時代になると、阪神線のあたりまで海岸線ができ、尼崎城下町が築かれた。
その築城の折に中在家町も生まれ、漁業の盛んな町へと発展していった。
生魚問屋、漁業関係の商人、漁師が移り住み、中在家は城下でも最も人口の多い町としてにぎわったそうです。
【おめでたい!?昭和生まれの工場地、鶴町】
戦前は次々と埋め立てによって新たな土地を造成していた尼崎。その際、中浜新田を埋め立てて作られた土地は、縁起を担いで鶴町と名付けられた。
ここは今も工場地帯で、忍たまファンを困らせている。
同時期に作られた土地も、扇町・末広町とおめでたい名前が多いです。
【変化球!小学校の名前に由来する浦風】
浦風は小学校の名前からついた、珍しい地名である。
昭和35年、近代的な円形校舎の浦風小学校が設立した。
忍たまキャラの主要人物の地名を地図に落とすと、東側に偏っているのがわかる。
もう少しすると、新キャラが西の方からも登場するのはないだろうか。
まだまだ尼崎には面白い地名があるので、これからも新しいキャラが増えるかもしれない。
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講義では触れられていませんでしたが、レジュメの中で面白かった食満と七松の由来についてまとめます。
食満(食満留三郎)
古代の言葉で「け」(笥、食)は食べ物を盛る器、あるいは転じて食料のこと。
「ま」は土地を表すので、食べ物が豊かに実る土地といった意味か。
いっぱい食べる留三郎とかすてきですね…。
お腹が空いていると助けてくれそう。まさにしんべヱの先輩!?
(なんだかアンパンマンっぽいな)
七松(七松小平太)
「享禄以来年代記」天正7年(1579)には「七本松」とある。
かつては葭原村(あしはらむら)と呼ばれており、源頼信がこの地に八幡を勧誘する際、元来一本松であったところへ六本を移植して七本松または七ッ松八幡宮と称したことから村名の由来となったという。
<尼崎市神社あんないより引用>
創祀は、後一条天皇の代、寛仁3年、源頼信が当地を訪れた折に、ひとりの小童がこの地の農民の窮状を訴えたのに感じ、1本の松樹のもとにあった小祠を改装して、あわせて松の株を六本植えさせた古事によるという。(「七松」という地名の由来でもあろう)
http://www.ama-jinja.org/55-nanamatu.html
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☆感想☆
ネットで調べているだけではわからないようなこともあって、
お話を聞けて良かったと思いました。
スライドで古文書に出てくる地名を確認することができたのが面白かったです。
元々地名等には興味が深く、東京においてはよく調べて遊んでいるのですが、
大好きな忍たまに関わる地名をさらに深く掘り下げるのも楽しいですね!
いつか忍たま地名由来まとめと考察なども、素人ながらに書き綴ってみたいです。
前回:尼崎 地名めぐりファンのつどいin潮江 レポート① イベント編
次回:尼崎 地名めぐりファンのつどいin潮江 レポート③ 潮江素盞嗚神社編
次回は、潮江素盞鳴神社のレポートです!
宜しくお願いします。
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プロフィール
HN:
あさゆん
性別:
女性
趣味:
小説
自己紹介:
ゆんと申します。
忍たまが大好きです。
特に六年生が好きですが、全キャラ愛してます。
ブログでの活動は、忍たま的な実習、実験、旅行などが多いです。
忍たまが大好きです。
特に六年生が好きですが、全キャラ愛してます。
ブログでの活動は、忍たま的な実習、実験、旅行などが多いです。
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